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フィンランドの偉大な女性セラミックアーティスト ルート・ブリュックとは

ルート・ブリュック

フィンランドを代表するセラミックアーティスト。モダンアート、モダンデザインの先駆者で、鮮やかな陶器のレリーフで名高い。当初は自身の感性や経験に焦点を当てた私的な物語を中心とした表現でした。その後いくつものプロセスを経て次第に自然の光と息吹を捉えたレリーフの大作によって近代美術の一翼を担うセラックアーティストの草分け的存在として美術史にその名を刻んだのです。今回は彼女の作家人生の歩みを振り返っていこうと思います。

 

ルート・ブリュックの歩み【前期】

少女時代から絵を描くことが好きだったブリュック。父親はオーストリア人の画家で蝶類学者、母親はフィンランド出身で芸術を愛し工芸品作りに秀でた人物でした、彼女はストックホルムで生まれ、二人の兄と妹がいます。ブリュックが6歳の頃両親は別居、フィンランドに移ります。ヘルシンキの学校に通い、夏には母の故郷であるカレリア地方で田舎の暮らしも楽しみます。父は蝶の採集飼育を行いブリュックもその影響を受けます。また、両親が語る旅の思い出や画集やハガキに魅了され、いつかイタリアを旅したいと思うようになります。

成長したブリュックは建築家になることを志し、工科大学の建築学科に合格しますが、技術系の大学に通う兄たちから建築家は激務だと説得され、仕方なく進路を変更することにします。美術工芸中央大学に入学し、グラッフィクアートを学びます。入学直後は建築家になる夢が諦めきれないこともあったが、グラッフィックアートに真面目に取り組み、卒業後はグラッフィクアーティストとして働き始め、商業的なイラストが初仕事となりました。

その後テキスタイルのデザインも手がけます。フィンランドの伝統的なラグ「リュイエ」やタペストリーなどの布のデザインを手がけます。ブリュックが手がけたイラストやテキスタイルのデザインは、植物やおとぎ話、自然などがモチーフになっています。

 

アラビア製陶所の美術部門でアートディレクターを務めていたクルト・エクホルムはブリュックのテキスタイルとグラッフィックデザインに着目し、訓練生として入社するよう勧誘します。作陶においては素人だったブリュックですが、工場の雰囲気に好感を抱き喜んで新たな仕事を開始します。この新しい職場では、トイニ・ムナオ、キュッリッキ・サルメンハーラ、ビルゲル・カイピアイネンといった世界的に名高いフィンランドのセラミックアーティストが彼女の同僚となった。特にカイピアイネンはブリュックの親友となり得意の技法を伝授したほどである。アラビア製作所に入社したブリュックが手がけた作品は当初サイズが小さく、素描と物語性に重きを置いたものでした。このころの画風は、親しみやすくユーモラスで素朴なもので、子供どころを感じられる’、動物や植物人物といったものがモチーフでした。当初ルート・ブリュックは他の職人が成形した陶器に絵を描いたが、次第にモチーフは複雑さを増し、形も造形的になっていきます。

ブリュックはタピオ・ヴィルカラと1945年に結婚。二人はそれぞれに国際的に名声を得て共に肩を並べて働くこともあった。1948年長男サミを出産。その翌年夫婦は初めてイタリアを訪れ、ブリュックは長年の夢を叶える。夫もイタリア美術を愛し、ブリュックとその作品を献身的に愛し続け、そのおかげでまだ社会への進出が遅れていた時代にブリュックの道が開けたのでした。

 

1950年代始め、イタリア旅行を終えたブリュックは新たな技法を取り入れます。石膏の多寡を用いた技法はこれまでの様式と明らかな変化をもたらします。まず手がけた実験的な作品は、<ビルゲル><三つ編みの少女>。これを機に一つの型を用いて同じ図柄の作品を複数点作るようになる。ブリュックはアラビア製陶所の技術者たちと共同作業で、技師チームはブリュックのために新たな同部や素材を開発し、200を超える新たな釉薬を調合します。ブリュックは釉薬の試験を重ね、キャリア前期を特徴付ける鮮やかで深みのある色合いに到達します。鳥、建物といったモチーフが多いです。ブリュックは子供時代のカレリア地方での思い出やイタリア美術をアイディアの源にしています。さらに、静物や家庭生活、母性、風景など扱うテーマを広げていきます。また、個人的な体験と美術しの暗示を一つの作品に織り交ぜた<母子>ではキュビズムなど近代美術運動の影響がはっきりと伺える、幾何学的な描写で表現されている。ジョルジュ・ブラックを好きな作家の一人として名前をあげるなど、モダンアートにも深い関心を寄せていました。ブリュックは1950年にアルテック・ギャラリーの個展で初めて鋳込み形成による陶板を披露。個展は大成功を収め、才能あるアーティストとして世間に名を広めます。

ブリュックは作家活動を始めてさほど時を経ずして広く名前が知られるようになり、海外でも高く評価されるようになります。誰もが憧れる賞を授与され、美術館に作品が収蔵され、国外でも多くの展覧会を開きます。1951年ミラノトリエンナーレのグランプリを受賞し、次回のトリエンナーレでも、<鳥の壁>で表彰される。現在フィンランドデザインミュージアムで所蔵されている<鳥の壁>は巨大なスケールの作品制作に乗り出す契機となった作品です。

 

 

 

RUT BRYK | ルート・ブリュック展

 

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塔元シスコ

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